INTERVIEWインタビュー
扱う人を育てる
―明山茶業という生き方―
代表取締役
砂押 悠子

1981年(昭和56年)、バブル経済の幕開けとともに誕生した明山茶業。創業者の砂押雅夫が、「日本を健康に」という想いを胸に抱き、台湾茶の輸入販売という事業を開始する。当時はまだペットボトルも缶飲料も少なく、茶を淹れることが当たり前だった。それから40年余り。時代とともに業界も変化を遂げる中、明山茶業は先代が築いた基盤を土台に、現代に即した企業へと深化を遂げている。
受け継いだもの
私と会社は同い年なんです。父が創業したのは、私が生まれる1ヶ月前のこと。母も一緒に立ち上げに関わっていたので、まさに家族とともに歩み始めた会社でした。当時は健康ブームの走りで、父は「日本を健康に」という強い想いがあったようです。特にコレステロール値を下げる効果のある烏龍茶に着目して。
— 創業当時、お茶を原料ベースで輸入し、日本で販売する企業は稀少だった。その中で明山茶業は、台湾茶の輸入販売における先駆者として歩みを始める。
子供の頃から、家でもずっとお茶の話ばかり。夜遅くまで仕事をする父の姿も当たり前で、お茶は日常そのもの、そんな環境でした。父が事務所から家にお茶を持ち帰ってくると、私も梱包作業を手伝ったりしていました。創業時から在籍している社員は今でも働いてくれていて、私が6、7歳の頃からその姿を見ています。
— 幼い頃から会社の空気を知る砂押社長だったが、事業承継の具体的な話し合いはなかった。取締役として名を連ねてはいたものの、父との約束も、明確な引継ぎ計画もないままに時は流れていく。そんな中、父の急な入院により、その翌月には代表を引き継ぐことになる。
最初の不安は、社員がどう思うかというところでした。場合によっては「じゃあ辞めます」という話にだってなるかもしれない。それぐらい創業社長とその娘とでは、存在の大きさがまるで違うものだと思っていて。41年やってきた会社の看板と、築いてきた関係性を引き継ぐというのは、本当に大変な仕事だと思いました。
— その不安を抱えながら、各所に挨拶回りに奔走する毎日が始まる。その中である出会いが、経営者としての重要な転機となった。
餃子の王将の渡邊社長に挨拶にうかがった時のことです。数々の助言をいただいた最後に「一番大事なことは何だと思う?」と聞かれて。壁に掛かっていた「愛」という書をちらっと盗み見てとっさに「愛」と答えたら、「それだ!」と(笑)。カンニングこそしましたが、実際にその言葉を口にしたことで、何かが腑に落ちた感覚があって。それまでは会社が潰れないように、誰にも迷惑をかけないように、というディフェンシブな考え方をしていました。でも、お茶に対しても、社員に対しても、会社に対しても、そういうこちらから発露する気持ちがないと、苦労も楽しいことも続いていかないんだと。照れ臭さの奥にあった本質に気づいたような感覚があったんです。

人を育て、組織を育てる
— 社長就任から7年経った現在。砂押社長は組織の在り方を少しずつ変えていった。最初の2年は守りの姿勢だったが、次第に自分なりの経営スタイルを模索し始める。積極的に社員数も増やし、デジタル化や業務改善も進めてきた。
社員とのコミュニケーションひとつとっても、従業員時代の10年は冗談ひとつ言わず、プライベートな話も一切しませんでした。週末にどこに行くとか何をするとか、そんな会話の必要性が正直分からなかったんです。でも、今の明山茶業の規模や雰囲気を考えると、私が何者なのかを積極的に出した方がいいと思うようになって。
— その変化は、予想以上の恩恵をもたらした。社員との会話が増えれば、それに伴って仕事に関する意見や提案も活発に上がり始める。長年の経験を持つ社員たちが、内に秘めていたアイデアを次々と形にしていく契機になった。
スタッフの多くは長年会社に在籍していて、私の幼少期から関わってきた人たちでもあります。長くてもう20年から30年。これまで考えてることもたくさんあったんだと思います。私が経営を引き継いだ当初、率直な意見をいろいろ投げてくれて、不安定な時期もすごく助けられました。
— 組織の改革は、デジタル化という形でも進められた。紙の台帳からパソコンへの移行、クラウドを活用した受発注システムの導入。昭和の時代から続いてきた業務フローを、一つひとつ見直していった。
既存のお客様からもデジタル化への順応を求められることが多くなってきたんです。特定のシステムを使わないと受発注ができないとか。紙ではなくデータでのやり取りが必要になったりとか。少し前までは、とにかくがむしゃらに作っては売ってを繰り返す商売だったので、そういう抜本的な、仕組みごと変える余裕はなかったんです。でも少しずつ、いろいろな課題に取り組める余裕がでてきて。これまでは手作業でやってきたブレンドの配合もきちんと数値化したり、役割を分担して外注に依頼したりとか。そうやって、会社を継いでからの7年は、先代が築いた関係や信頼を守りつつ、少しずつ周りの環境に適応するために形を変えていく期間でもありました。

戦略なき戦略と、会社の理想像
— 二代目として社長に就任して以来、外部からの要望に応える形でデジタル化や組織改革を進めてきた。しかし、それ以上に重視してきたのは、社員と向き合い、その可能性を引き出すこと。その背景には、社長自身の深い内省がある。
私自身、幼い頃は得意なものを見出せず、人の心の機微にばかり敏感な子供でした。だからこそ、常に人の気持ちを観察し、相手が何を望んでいるのか考える癖があって。当時は、認めてもらいたいという気持ちが強かったんだと思います。でもそれが今となっては、社員一人一人の個性や得意分野を見出すことに繋がったのかもしれません。
— そうした内側への視点は、結果として売上の向上という成果にもつながった。それは戦略として計画されたものではなく、社長自身の個性が生んだ、数字では測れない血の通ったプロセスから。
社員がそれぞれの得意分野を活かして動いてくれる、そういう仕組みが少しずつ上手く回り始めた。今まで外側に向けてというより、とにかく内側の基盤を作ることに注力してきた。少し遠回りしたかもしれないけど、それは間違いではなかったと今では思います。
— 組織の在り方を模索する中で、砂押社長は明山茶業ならではの価値観を見出した。
お茶という商品は、嗜好品です。なくてもいいし、あってもいい。 ただ、大切な人との語らいに、仕事の合間のひと時に、時には心の沈んだ夜に、傍らに一杯のお茶があるだけで、その場面が少しだけ豊かになると思うんです。そしてその豊かさを育むのは、お茶そのものだけでなく、そこに携わる人の想いがあってこそ。つまり、「誰が扱っているか」が重要なんです。 だからこそ、明山茶業は「扱う人を育てる」会社であり続けたい。お茶を愛して、人を大切にする。それが私たちの目指す姿だと思っています。
2025年1月 インタビュアー:大森徹哉(株式会社H14)